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煉瓦は安政四年(一八五七)長崎に幕府が製鉄所を設置した際に作らせたのが初めとされているが、堺では明治政府が大阪造幣局を建設するため明治二年(一八六九)東湊の瓦屋藤吉に命じたのがその起こりである。翌明治三年にできた工部省の煉瓦製造所は明治六年民間に払い下げられ、瓦師の丹治利右衛門は独自に工場をつくり堺のレンガ工業が始まった。
明治二〇年(一八八七)頃の資料によれば、煉瓦石三七、三七〇・〇〇〇円、土桶摺鉢五七八・〇〇〇円の生産額で五四八、八八九・一一七円の清酒や五九、五六八・〇〇〇円の醤油等の醸造業に比べれば、少ないがかなりの位置にあったのである。堺がこのようにレンガ製造の地となったのは、良質の粘土が手に入ったからだとされている。