煉化石製造
府下豊島郡小曽根村字白山の土質の煉化石製造に適当する良土なることは已に先年東京青山大火の節旧藩知事之を使用して充分の好結果を得たることあるを以て知るべし就ては予て吾々の目的とする所の衣食住改良の趣意に基き今度同所に煉瓦石製造場を設立し其土を以て最上等の煉化石を製造し汎く世上に販売して之が其需用に供せんとし已に今五日を以て其開業式を執行するの運びとなりたり尤右煉化石土取場は地面高くして作物に充分ならず今之を取下げたれば跡は上田となるべく其上に近傍の貧民を使役すれば其生活の一分を助けしむるを得て一挙両得の利益を村中に与うるのみならず地所は社員中の所有に係り薪等は皆社員より持寄れるものを用うるが為めに煉化石製造上に要する所の費用大に減じ頗る安価に之を販売するを得べきの便利あれば品は上等完全にして価は及ぶだけ低廉になし以て普く世上諸君の需用に応ずべきに由り請う一応御試験の上其多寡に拘わらず特別の御愛顧あらんことを
但し見本御入用或は御注文上万端の御用向は総て左の所へ御申込被下度候也
北区堂島桜橋南詰南へ入
四明楼
旧藩知事は麻田藩(麻田県)の青木重義か。麻田藩の江戸屋敷は現港区麻布・白金のあたりにあった(東京市史稿 市街編49)。維新後に小曽根白山の土で煉瓦を作り同地にて使用した?
M20.5.15広告では大登窯増築を報告。「大坂府豊島郡小曽根村 四明楼本店」