残存ピアの足元に転じていた瓦礫の中から採取。恐らく東側橋台の解体に伴うもの。瓦礫には岸和田煉瓦、三ツ矢、六稜星(中)、押切タイプの機械成形煉瓦(無刻印)など様々な煉瓦が混じっている。大阪中から煉瓦をかき集めてきたかのような状況(see also 和知川第二橋梁)。それからすると”三割丸”刻印も大阪の工場のものかも知れない。あるいは舞鶴市西神崎で検出している”四割丸”、”二割丸”のバリエーションか。刻印のサイズ感、打刻の癖、煉瓦胎土の質はよく似ている。
”三割丸”@山陰本線下の郷川橋梁
https://bdb.kyudou.org/?p=4890