堺煉瓦@柴島干潟

右岸側干潟に橋台・橋脚遺構が残存。付近に転じている普通煉瓦転石の中に検出。他にも堺煉瓦の刻印(添字をもたない雑な五本線の刻印)が多く検出される。

上淀川橋梁はM9.10.竣工、M30前後に複線化されたがその直後に新淀川が開削され、上淀川橋梁新設(M33 or 34)に伴って撤去された。また上淀川橋梁上り線橋脚はS28~29頃に現行のC橋脚へ改築されている(仁杉巌「上淀川橋梁上り線改築について」(『交通技術』9(10)(98))。橋台遺構の煉瓦は2-1/4インチ厚で初代の構造物とみられるが、潟口附近に転じているものは3インチ系の肉厚異形煉瓦であったり厚54mm前後の並形であるので、上十三川橋梁に由来するものではなさそうである。

ここで検出される堺煉瓦刻印は後期型と目している添字のないタイプ(M32狼川橋梁複線化の頃までは添字入りが使用されている。M32上神崎川橋梁複線化にもカナ入りのものが使用された形跡あり)。また井筒用異形煉瓦は奥田煉瓦製の細英字形状指示印が押されたものが多くみられる。このため上十三川橋梁の瓦礫ではなくM34上淀川橋梁の橋脚瓦礫である可能性が高い。

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