漢数字”七”@岡崎市菅生町

東洋組岡崎分局が置かれていた菅生町の路傍転石に検出。3インチ厚の肉厚煉瓦に打刻。岡崎分局は明治17年に設置され西尾分局の職員が出向いて煉瓦製造・土管製造を指導した。煉瓦製造は早い段階に休止したが明治18年半ばまでに6000余個を東京へ送っている。

該刻印は西尾で検出する漢数字印によく似ている。鉄道局向けに製造を再開したものか、あるいは西尾から運ばれてきたものかも知れない(M18時点で窯の性能が悪く改築の必要があった。その素材として持ち込まれたか)。

https://bdb.kyudou.org/?p=12230

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