●煉化製造場 前号に和泉国堺大浜の煉化石製造場を併せし旨記載せしが尚お聞く所に拠れば従来同場の製造に係る煉化石は極めて良品なるを以て已に客年海軍より許多の調製を命ぜられしに付き同場長原口仲太郎氏は広島県下呉港及び長崎県下佐世保両鎮守府建築用の煉化石製造場設置の為め昨日同地へ向け出発したり又同場にては京都疏水工事用の煉化製造をも引受けたりといふ
(大阪日報 M20.1.16 1面)
アジ歴所収の原口煉瓦製造場の件は原口が納入するはずだった迫持煉瓦(集会所各所に使用予定)の納入が遅れていたので技師を寄り道させて催促する件。
「20年10月30日 朝倉5等技師外1名出京途次神戸より大阪府下堺に立寄りし義御届の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10124055300、明治20年 公文雑輯 巻3 職官3(防衛省防衛研究所)
三津の煉化製造by日本土木会社は明治21年2月頃から本格化(『大呉市民史 明治編』p.127)。三津で最初に煉瓦製造を始めたのは鹿児島の豊島喜右衛門とされる(阪田泰正 『赤レンガ物語』ほか。字龍王山西山)。M24大日本広島県著名商工業姓名録にも三津の煉化製造場として豊島喜右衛門の名あり。豊島喜右衛門はM11頃に鼬川・高津入堀川あたりの開削を申し出て工事をした人物。後に大阪南堀江でポンプと売薬商を営む。