南側橋台。明治36年に関西鉄道が桜ノ宮駅に乗り入れた際に建設されたものとみられる。複線なのは後の城東線複線化を見越したものか(大阪鉄道を買収したのちM40に天王寺~大阪間を複線化したうえで国有化(『日本鉄道史 中編』))。ただし新旧橋台とも煉瓦の質はよく似ている。特に旧橋台の扛上部分の煉瓦は厚55mmを超える新橋台の煉瓦と同じものが使われているようだ。
対厚比が最も近いのは監獄則煉瓦という結果になった。あるいは後年の鉄道庁第二種(7.4 x 3.6 x 1.9 寸)。これらとM40淀川橋梁の新橋台とは推定規格が一致しない……。もともと関西鉄道の構造物は煉瓦寸法がかなりまちまちになる傾向がある印象。煉瓦規格にこだわらず入手しやすい煉瓦を手当たり次第に使用したか、多くの工場の製品が混在しているために平均値がばらつくのか、その両方だろうか。
淀川橋梁の隅石と煉瓦の取り合いを調べておくこと。桜ノ宮架道橋(新)は9段/2ft、(旧)は5段/1ftで、尺寸よりもインチで読んで積んでいる? 縦目地より横目地のほうが明らかに厚い=高さを基準にしている?