敦賀線建設用煉瓦工場 (推定)パン瓦

敦賀線煉瓦工場跡で採取した全形煉瓦。ひときわ色の濃いほうは197×92×48mm(6.5寸✕3寸✕1.6寸)という小型の煉瓦で、小泉王勁『大阪府下に於ける煉瓦製造業』にある「麭麺瓦(ぱんがわら)」と推定される。パン瓦は関西における煉瓦製造の最初期に製造されていた煉瓦で、同書では長さ七寸、巾三寸二分、厚さ壱寸六分と記録されている。淡い大きな煉瓦は同所採取の2-1/4インチ厚煉瓦(長手9-1/8in、小口4-3/8in)。これが線路建築に用いられたものとみられる。工場跡の焼損煉瓦も2-1/4インチ系のものが多い。

いずれの煉瓦も角張った長石or石英の石粒を多量に含む。推定パン瓦のほうは全面に粘土の塊が固着しており、かつ焼けただれた肌をしていて(採集品よりも現地転石のほうが焼損が顕著で数個固着したものもあった)、窯の壁面か焼成煉瓦の支持構造物として用いられていたものと推定される。

大阪窯業も硫酸瓶製造会社時代に自社用のパン瓦を製造しており、その経験があったために煉瓦製造業へ転業できた。大阪窯業ではパン瓦を硫酸瓶を焼く際の“下積み”に使っていたという(『大阪窯業株式会社五十年史』p.35)。

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