石ヶ瀬川で採取したものと同型・同刻印の異形煉瓦に菱井桁で囲った”七”を打刻。”G”は大型楕円形井筒用に設計されたものとみられ、初代天竜川橋梁・大井川橋梁が建設された頃(M21)の製品と推測される。後掲”F”参照。東洋組が解散したのはM18、刈谷就産所(大野就産所)として正式に再スタートするのはM25頃なので、その間の過渡期には正体井桁以外の印も使用されていたことがわかる。
大野煉瓦 ”菱井桁+七”+”G” on 肉厚扇形異形煉瓦@刈谷市司町4
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