- 藤田伝三郎
- 明治15年に硫酸瓶製造会社として始まった時には硫酸製造会社の工場敷地の一角を借りていた。この硫酸製造会社はM10に藤田伝三郎の肝入で始められたもの(大河内翠山『藤田伝三郎』。主導した豊原百太郎は造兵寮硫酸製造技師(『大阪窯業株式会社五十年史』)。のちM12に府下最初の株式組織として硫酸製造会社が設立される。『大阪商人太平記』明治中期編p .50)。難波の藤田組工場もM15頃まで操業しているので廃止後の技術が移されているかもしれない。
『大阪窯業株式会社五十年史』には硫酸瓶製造会社の設立関係の資料あり。M14.12提出の設立願書には寺村富栄、小野一巳千、福岡宗兵衛、長尾藤三、白井唯一が発起人として名を連ねる。また株主には以下の人物。
- 寺村富栄
- 滋賀県出身 明治初期、奈良県聴訟方下調、少監察、権大属、断獄掛など経て奈良県典事 大藤高敏はその頃の部下
『http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950804/78″>日本弁護士史』 - 小野一巳千
- M13頃大阪府下汽船問屋総代 雇人が横領事件を起こす(大審院刑事判決録 明治13年11月分』)
- 福岡宗兵衛
- 東区釣鐘町で両替商を営む。株式取引所でも名の通った人物。後に破産し、東京に出て手品師となる。M20頃二代目帰天斎正一として大阪で活躍、のち芸能プロダクションのような仕事をする。…同一人物かは不明。(見世物興行年表
- 長尾藤三
- M20台後半、洋紙帳簿、書籍、切符類を製造する大阪国文社社長(『大阪府工業概覧』)。大阪窯業や大阪アルカリの役員(監査役・取締役)も。(『日本鉱業名鑑』)
- 大阪市会議員
- 白井唯一
- M6 大阪開明学校十等出仕 御官員分課住所早見鑑 文部省,教部省 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779613/24
- 大阪府属判任官七等『明治20年乙8月』
- 日本帝国文部省年報 第9(明治14年) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809154/422
- T2 化粧用脂取り紙の特許権者? 梅が枝在化学工業発明辞書
- 大阪府属判任官七等『明治20年乙8月』
- 井口新三郎
- 大阪手形交換所や大阪株式取引所の発起人の一人。この辺りには外山や熊谷らも参与。
- 外山脩造
- 幕末の越後長岡藩士。明治期の衆議院議員、官吏、実業家。大蔵省、初代・日本銀行大阪支店長、横浜正金銀行取締役を経て、アサヒビール、商業興信所(日本初の信用調査会社)等の創業に関わる。阪神電鉄初代社長となり、関西財界の礎を築いた。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%B1%B1%E8%84%A9%E9%80%A0
- 耕山愛太郎
- 後の高山耕山化学陶器(株)代表。高山源兵衛の長男で造幣寮への物品納入もしていた。 http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/jimu/publications/kidachi/kyoyaki/16/kidachi_kyoyaki-16.pdf
- 熊谷辰太郎
- 第一国立銀行大阪支店支配人。のち本店支配人。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E8%BE%B0%E5%A4%AA%E9%83%8E
- 光村弥兵衛
- 伊藤博文、井上馨の引き立てで官営事業をうけおい、明治2年廻船問屋長門屋を設立。西日本の海運業界を支配して東の岩崎弥太郎とならび称された。 https://kotobank.jp/word/%E5%85%89%E6%9D%91%E5%BC%A5%E5%85%B5%E8%A1%9B-1112786
- 人物の食客時代:青年立志 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778162/74
- 鈴木助七
- 鈴木商店の藤田助七?
- 住友吉左衛門
- いうまでもない近世からの資産家・実業家
- 磯野良吉
- 磯野小右衛門の長男。後年同社社長を長く務める。茶碗の収集家でもあったようだ
- 原新七
- 原嘉助
- [大阪府]官員録 巻之上 明治10年7月改 第一大区九小区四等戸長
『松翁茶会記 上』M15.1.22茶会に安田善次郎、外山脩造、熊谷辰太郎、井口新三郎、甲谷、とともに出席。安田財閥の関係者?
- 大藤高敏
- M9、寺村富栄とともに大阪上等裁判所の代言人(北洲舎)。
- 山口幸七
- M26頃大阪市会議員(『商家必要蒐集録』、M26頃北区長[大阪市北区]赤痢病予防事務報告書 明治26年
- M20創業大阪帳簿株式会社社長(『大阪府農商要覧』)
- http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/908724/61
- 大阪電灯設立発起人 明治大正大阪市史 第2巻 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1237024/402
- M20創業大阪帳簿株式会社社長(『大阪府農商要覧』)
- 久世義之助
- 造幣寮舎密家 久世喜弘(久世治作)の子息。五代友厚の金銀分析工場にも勤務。『久世喜弘翁』
- 松本重太郎
- 明治期大阪の大実業家
- 甲谷権兵衛
- M22 有限責任日本生命保険会社発起人
- 商業興信所発起人 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1459532/22
- 佐々木太郎
- 光村利三郎
- 広瀬宰平
- 光村利三郎
- 住友家別子銅山総支配人。大阪財界の大立者の一人。
- 長谷川誠三
- M21頃国文社社長、M23活版営業組合副会長
- 豊原百太郎
- 片山治助
- 津江雄三
- 雑賀良三郎
- 片山治助
- M10堂島区裁判所会計課等外三等出仕
- T2頃帝国製麻株式会社常務取締役 日本労働統計年鑑 大正4年版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/975554/61
- 芝川又平
- 堂島米商会所、大阪商工会議所の設立発起人。芝川又右衛門→隠居後又平を名乗る
- 入江惟政
- M11鉄道局十等技手 大阪府各省局官員録 明治11年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779121/32
- M11.4以降大蔵省常平局十等技手
- 大蔵省職員録 明治11年10月 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779101/130
- 造幣寮硫酸製造所に勤務。久世治作、豊原百太郎と同期。
- M11.4以降大蔵省常平局十等技手
- 坂本平助
- 森井惣兵衛