京都府編琵琶湖疏水要誌にはない情報あり
(二)煉瓦工場
当時我が国の最も重要な煉瓦製造所は和泉の堺で其の製造額は一ケ年僅々二三百万本に過ぎぬから我が疏水工事に必要な一千四百万本の需要を充すことが出来ない且又かような製造会社に急に多量の注文をして購入するときは価格騰貴、品質不整等の恐れもあるので断然一大工場を設けて自ら製造することとした、其の工場の壱は原料の採取と製品の運搬とに便利な処でなければならぬので種々詮議の結果宇治郡御陵村と定まり明治十九年五月十日に煉瓦工場の設立に着手し同年七月二十一日から製造を開始し其の後漸次に拡張して行ったので予定の需要を充して百二十五万余本を他に売却した程であった、工場の規模は敷地約一万三千五百坪、其の設備は事務所二棟、窯場三棟(八八三坪)、窯十二ヶ所(登窯十二段)、煙筒八基(高三十六尺乃至六十尺)、工場十棟(一二五二坪)、職工部屋七棟(二四七坪五合)、納屋八棟(二八四坪)であった、明治十九年から二十二年に至る四年間の製造成績と消費状況とを示すと大体左の通りである。
煉瓦の大きさは長さ七寸三分、巾三寸五分五厘、厚さ二寸が主なもので厚さ一寸八分のものと二寸五分のものとが少数ある。煉瓦製造成績表
明治19年 明治20年 明治21年 明治22年 合計 白地瓦製造 436046個 5591098 6302440 1357561 13687145 窯焚回数 43回 470 386 63 962 原料 174坪 2336 3090 288 5888 人夫 5622人 54619 66664 26213 153118 車数 3427輌 29373瓦 55798 12451 101049 牛数 3427頭 29373瓦 21409 7008 61217 囚人 42078人 51634 13232 106944 車数 3725台 2966 1813 8504
各工場使用表(表中の数字は個数なり*蹴上工場以北を含む)
工事場 明治19年 明治20年 明治21年 明治22年 明治23年 合計 大津工事場 1146202 636047 194472 1976721 シャフト工事場 61445 641310 1056300 1759055 藤尾工事場 78468 619301 405678 1103447 山科工事場 464216 2650807 135660 3250683 蹴上工事場 575990 649992 214610 39040 *2640692
売却表
明治20年 明治21年 明治22年 明治23年 合計 236500 616958 374032 29300 1256790
※表中数字は漢数字を英数字に改めた