日本煉瓦 漢数字”二”@京阪京津線跨線橋

同橋台には斜線の刻印煉瓦もあり。明治24-25年『各省所管官有財産目録 上巻』には石造橋台とあり複線化時以降に煉瓦造へ全改築されたものとみられる。区間の複線化は明治31年、京津電気軌道該区間は大正元年12月開業。

https://bdb.kyudou.org/?p=8133

2件のコメント

  1. 京津電鉄こ線橋、大正元年12月開業とありますが、当該橋台は、明治13年に大津までの鉄道が開業した時のものです。当時は東海道を越える橋梁で(明治22年測量国土地理院旧版地図による)、上関寺町架道橋といいました(鐡道廰「鐡道線路各種建造物明細録 第一篇」(明治25年12月)による)。写真の右側2/3ほどが明治13年、左側は31年に複線化した時に拡幅されたものです。沓座の角度が異なっているので、この間に斜橋の技術が実用化されたことがわかります。大正10年に、東海道線が東山トンネル、新逢坂山トンネルを経由する現在のルートにつけかわり、当該橋梁は廃止されました。その後の経緯は明確ではありませんが、東海道が拡幅・線形改良されて現在の高島大津線の位置に移り、その廃線敷に京津電車が敷設されたものと考えます。

  2. コメントありがとうございます。誤解なきよう書き換えました。

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