右ズレ〓(大正丹治)

大正7年『京阪神商工録』には丹治煉瓦合資会社として記載があり〓を左右にずらした記号が社章として掲げられている。ここに掲げる右ズレ印はそれと逆のズレ方をしたもの。左右の印が共使いされた例もあり、どちらも合資会社時代に使われた丹治煉瓦印と想像される。

右ズレ印には漢数字を添えたものが多い(マークの向きとは90度回転している)。印全体が深く彫れ込んだものも多く、埼玉県深谷市日本煉瓦製造に伝わるものに似た、叩き板の柄に造り付けた判だったのではないかと想像される。

大正7年頃には年産1800万個、、職工250、輪環窯3(『日本工業要鑑』大正7・8年度用(第8版))

大正12年頃?合資会社となったあとは同15年頃まで操業が確認できる。そうして工場の記載が無くなった頃、昭和11年には丹治良一が日本煉瓦の監査役に就いている。(『日本工業要鑑』昭和11年度(第26版))


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