西尾士族生産所(円形井筒用異形煉瓦 カナ指示+”□+漢字”)

明治15年末から16年初頭頃に齋藤実堯によって設立された東洋組西尾分局を源とする。齋藤実堯は旧盛岡南部藩の士族の子、民部省の土木官吏として宇都宮三郎の指導を受ける。民部省の窯業技術を民間に移すことが画策された頃、陸軍省で要塞建設の計画があり、東京産の煉瓦の品質に問題があると聞き及んだ齋藤が三河の土に目をつけてここに事業を興したのが東洋組であった。齋藤の事業は愛知県令国貞廉平や岩倉具視などの協賛も得、また当時活溌だった士族授産と結びついて三河の各地に4つの分局をもつ組織として始まる(刈谷・西尾分局は煉瓦製造を、岡崎分局は土管製造を、田原分局はセメント製造をそれぞれ指向して創業)。西尾分局は碧海郡米津村荒子・幡豆郡上町村北大山にまたがる一帯に建設された。創業は明治15年末~16年頃とされる。

齋藤が陸軍省に提出した見本品は同種の応募の中でも最上級とされ陸軍省買上げが決まっていたが(実際納入され猿島砲台などに使用されている)、東京湾要塞以外の要塞計画が凍結されたため販路を失って苦労した。かわりに皇居造営用の瓦や煉瓦の生産で糊口を凌いだものの、工賃払いの延滞が続くなどして士族間に不満が高まっていった。
(この当時は英国式の野焼き法で煉瓦を焼いていたと『日本工業史 化学編』にある)

明治18年7月から東洋組と縁を切る方向に転換。天工会社→精成社と名称変更したのちに解散し、工場敷地や諸機械一式を東京深川亀住町在の笠原光雄に売却した。笠原は旧西尾藩主松平家の家令なので実際の買主は旧藩主相続人松平乗承だったと考えられている。これを西尾士族に再び貸与する形で明治19年3月西尾士族生産所が設立された。

この離脱・新設の時期に「鉄道局御用の大形煉瓦」を受注し生産に入っていたことが『西尾市史』第4巻所収の生産所関係者の書面にある。この頃東海道線の建設が始まっており、他工場もその売り込みを画策していたが、品質その他の問題があり西尾士族生産所が独占状態にあったとも。風水害で乾燥中の煉瓦を毀損するといった障害もあったが、創業からの1カ年に「A、B、C厚型、並形」、合わせて253万1187個を焼いている(売上個数は228万5352個)。

『西尾市史』には明治20年10月11月棚揚げ表と称する一覧も掲げられており興味深い。

下等交り煉化石

138,831枚

1銭につき7枚

上等イー形

37,882

1000枚につき8.15円

同 デー形

5,381

1000枚につき7.00円

同 ABC形

52,607

1000枚につき6.00円

同 厚形

64,672

1000枚につき8.15円

同 並形

1,889

1000枚につき4.00円

同 イロハ印形

1,395

8370

1000枚につき6.00円

下等交り形

33,070

1銭につき8枚

エー形白地

7,168

1000枚につき1.10円

デー形白地

6,947

1000枚につき1.17円

ここに掲げられているA~C形、および”デー”=D形・”イー”=E形は鉄道橋脚の円形井筒に用いる扇形や撥形の異形煉瓦とみられる。実際初代揖斐川橋梁(M19.12竣工)の橋脚井筒、その周辺に散乱している瓦礫煉瓦、東海道線初代木曽川橋梁(M20.6竣工)残存井筒に”エー”、”ビー”、”シー”という表記の刻印が検出される。この二つの橋梁は径12ftの円形井筒で、後に定規化された円形ウェル用煉瓦の形状とその呼称(A、B、C)に一致する。その多くが西尾士族生産所製であるのだろう。(c.f.形状指示カテゴリ)

両橋梁の異形煉瓦には縦横2分ほどの小さな漢字を四角で囲った添印が添えられていることが多い。例えば揖斐川橋梁瓦礫からは「圡(点つき土)」「平」「青」「萩」が、木曽川橋梁井筒からは「白」「子」「二(?)」等が検出されている。『西尾市史』所収書面には鉄道局御用品の製造能力のある者が17、8人いたことが記されてあり、彼等のうちで使われた識別印であったと想像される。

西尾士族授産所は明治23年夏に跡地と残余煉瓦を買い取り耕作地にしたという記録がある一方(『西尾市史 第6巻』年表)、明治25年に廃絶したという情報もあって結末が定かでない。愛知県統計書では明治20年のデータを最後に姿を消している。

なお、”エー”、”ビー”、”シー”の形状指示は勢陽組の製品や斜井桁+三線刻印大野就産所の製品にも見られるが、勢陽組の指示刻印は一文字が3cm四方もあるような大型の文字で、一辺1.5cmほどの文字を使った木曽三川橋梁の指示刻印とは隔たりがある。また勢陽組工場所在地では□囲みの識別印は見られなかった。斜井桁+三線刻印や大野就産所の指示表示はより小さい。いずれの表示も長音記号を長く伸ばす傾向があり時代を感じさせる。

非常に興味深いことに、木曽三川の橋梁に見られる”□+漢字”の添印は敦賀港駅ランプ小屋に見られるものと全く同じものがある。例えば”□+圡”などは完全に一致するし、「青」なども揖斐川橋梁に見られるものによく似ている。木曽三川橋梁の”□+漢字”印が西尾士族生産所のものであるとすればランプ小屋の建設時期の目処にもなりそうである。

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