大阪毎日新聞 M43.5.17/関西煉瓦製造業の黎明期

近畿の産業(十四)

泉州の煉瓦業

▲煉瓦事業の沿革 我国に於ける煉瓦業の濫觴は明治二年工部省鉄道寮が堺にダルマ窯を以て製造したるに始まり爾来原口亀太郎、原口仲太郎、丹治利右衛門、児玉、花岡、佐藤、成金社(せいきんしゃ)、稲葉組等或は興り或は[亻+ト](たお)れ十五年大阪窯業会社の設立せらるるに及び斯業の基礎漸く確立し二十一年ホフマン式輪環窯を採用し旭煉瓦岸和田煉瓦貝塚煉瓦津守煉瓦製造所等の創立を見、三十年には年産一億五千萬個以上に達し遂に生産過剰の為に頓挫を来せり

▲需要増加と経営 泉州の土質は煉瓦製造に適せるを以て今日の発達を促したるも亦一面之がため其濫觴を惹起し各自の競争激甚となれり煉瓦相場の高低甚だしきは需給関係よりも寧ろ是等事情に左右せらるること多し而して近時需要益々多きを加え従って其製法に一大変化を来し簡単なる手工業を以てしては利益薄きより漸く大工業的の面目を具備するに至り相場は三十五六年には千個八九円を唱えしもの丗八年には十三円となり三十九年には十円五十銭に暴落し四十年二月より四月に至りて十六円に突飛し四十二年二月には九円台に大下落を演じ昨今十一円台に保合い居れりコハ当業者が市場の大勢に通暁せず思惑心を以て売買を試みる結果にして斯業の発展上憂慮すべきに属す

▲大高庄右衛門氏の効績 氏は千葉県の人現に大阪窯業会社の技師長たり[先]に独逸其他欧米の煉瓦事業を研究しホフマン式焼窯に更に一層好良なる窯炉を発明して特許を得カッセル窯に類せる化粧煉瓦又は耐火煉瓦用窯を製作し其他原形[製作機?]乾燥機等斯業のために改良苦心する所頗る多く堺付近を中心として今日の発達を見たるは氏の力与って大なりというべし

▲組合薄弱 組合の必要殊に痛切なるに拘らず却って之が設立を妨害し製造業者間に何等の連絡なく只僅に大阪窯業岸和田煉瓦堺煉瓦貝塚煉瓦日本煉瓦津守煉瓦の一組合を組織せるのみ而も勢力薄弱にして生産上に資する所なきは頗る遺憾とせざるべからず

▲内外製造の比較 煉瓦事業は其の製法簡易にして技術上の熟練を要する程度少なく監督者の如き亦多くの人員を必要とせざるに本邦に於ては十人に対して一人の監督者あり又直接事業に従事せざる雇用者少なからず(傍点)日本煉瓦の如き事務員と職工と其数相半せりという(傍点)生産費の嵩む亦止むを得ざるなり独逸地方の如き職工数百人を使用せる工場にして事務員兼職工監督者僅に二名を以てすと云う原料は本邦より二倍高く職工賃金は三倍以上を支払い然も製品の本邦品より低廉なるは畢竟此辺に原由するものならんか当業者の鑑むべき所たらん

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