大阪毎日新聞 M22.7.3 2面/明治22年頃の堺の煉瓦工場(堺煉瓦製造業組合)

●堺市に於ける煉化石 府下堺市にては近来煉化石の製造所は追々増加し最早や本年に至りては都合九ヶ所に及び紙が同市に於ける昨二十一年中煉化石の製造販売高は凡そ二千万個にて千枚に付き代価金五円の平均とし総代価十万円に超え又其販路先きは大抵大阪、神戸の鉄道、紡績等諸会社の新築に用いし者なりとぞ尤も本年は春来雨天打続き為めに充分の製造の出来ざりし際九州鉄道讃岐鉄道の両会社より多くの注文ありしにより毎年梅雨中は休業するの例なるに昨今職工を増加し専ら製造に従事なし居れり又同業組合は堺煉化石会社、佐藤煉化製造所、附洲商社、花岡組、丹次製造所、原口製造所の六ヶ所にて此の他に旭会社、若井製造所、青山商会の三ヶ所都合九ヶ所にて之れに使用し居る職工請負人は目下百四十人、下職工人五百六十人ありて其製造の盛んなるは毎年六、七、八、九、十の五ヶ月にて此の間は他の月より職工五倍を増すと云えり且つ又原口製造所は去る五月上旬より耐火煉化石を製造し六月中に神戸小野浜海軍造船所の試験を得て今度二万個を大阪電灯会社へ売り渡せし処至極の好評を得たるにより明年開かるる第三回内国勧業博覧会へ出品せんと目下手筈中のよし

青山煉瓦製造所は明治19年頃堺煉化石会社の第三工場だった。工場主は青山徳蔵(滋賀県公文書 明-な-338)。

M22.1.の堺煉化石同盟販売所広告では青山煉化製造所は同盟販売所に加入していた。その後2月に青山商会と改名する広告があり、3月には
大阪鉄道納入用に分工場を建設するという広告。青山商会と改名した頃に組合を脱退したものと思われる。旭会社、若井煉瓦はこの後もしばらく存続するが青山商会はすぐに姿を消してしまう。芝山隧道や大和田に若井煉瓦の刻印煉瓦が見られること、奈良駅転車台遺構から青山商会の社章印が見つかっていること。

http://bdb.kyudou.org/?p=8787

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